Nuclear Testing Legacy Haunts Pacific Island Countries - Japanese

核実験の後遺症に悩まされる太平洋島嶼諸国

【スバ(フィジー)IDN=シャイレンドラ・シン】

 太平洋島嶼諸国の著名な反核活動家らは、「核保有主義」(nuclearism)と闘う国際的な取り組みを支援するかつては強力だった運動の再興を目指している。彼らの呼びかけは、4月27日から5月22日までニューヨークの国連本部で開催中の2015年核不拡散条約(NPT)運用検討会議という大きな国際会議と時期を同じくしている。

NPTは、核兵器と兵器技術の拡散を防ぐ一方で核エネルギーの平和利用協力を促進する重要な国際条約である。

しかし、2015年運用検討会議に向けて毎年開かれてきた準備委員会会合のどれか一つでも参加していたNPT加盟国148か国の中に、パラオ以外の太平洋島嶼諸国の姿はなかった。

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)によれば、かつて太平洋地域の国々は核軍縮運動に大きな貢献を成したにもかかわらず、このような状況になっている。米ソの軍拡競争が厳しかった時代、「南太平洋フォーラム」の加盟国南太平洋非核地帯条約(SPNFZ)に署名・批准した。さらに、太平洋島嶼諸国は、国連やさまざまな国際的軍縮会合の場で、核兵器を禁じる国際条約を求める決議に賛成票を投じてきた。

今回のNPT運用検討会議は、NPTの規範を強化し軍縮教育を促進するうえでどのように市民社会との関与を深めていけばよいかについて検討することになるだろう。しかし、太平洋島嶼諸国からの市民団体の参加はきわめて少ない。

太平洋島嶼協会(PIANGO)のエミール・ドゥイトゥトゥラガ事務局長によると、同協会の全国規模の連絡団体は2015年運用検討会議にどこも参加しないという。また、太平洋島嶼地域を代表するような他のNGOが参加することも把握していない。

NPT運用検討会議のような重要会議に太平洋島嶼地域からNGOの参加がないことは、同地域における反核運動が全般的に勢いを失ってきている現状を浮き彫りにするものであり、対策を必要とする憂慮すべき傾向だという意見もある。

かつてフィジーを基盤に活動していた地域圧力団体「太平洋問題資料センター」のスタンリー・シンプソン元副代表はIDNの取材に対して、「『核保有主義』は、一見衰退したように見えても、依然として脅威でありつづけています。」と語った。

「危険は去っていません。」「私たちは依然として、核実験・核活動の後遺症とともに生きているのです。」とシンプソン氏は語った。太平洋島嶼地域では、1946年から1996年の間に、かつての植民地宗主国である米国・英国・フランスがあわせて315回の核爆発実験を行っている。

しかしこうした国々が今日に至っても核実験が及ぼした被害に対する責任を認めず、被害者への補償を行っていないことから、太平洋島嶼地域の人々は不公平感を募らせている。

今年2月、フィジー政府は、1950年代末に英国が核実験をクリスマス島(現在のキリバス)で行った際に現地にいた24人のフィジー人元兵士に対する金銭的な支援を表明した。フィジーのフランク・バイニマラマ首相は「私たちには、英国の政治家や官僚からの支援を待つのではなく、今こそ彼らに救いの手を差し伸べる責任があります。私たちは自らの歴史に刺さったままの棘を取り除かねばなりません。」と述べた。

マーシャル諸島のクリストファー・ロヤック大統領は最近の文章で、米国が同国をいかに冷淡に取り扱ってきたかについて書いている。これは、ICANが2014年に発行した『核兵器を禁止する―太平洋の見方』に掲載されている文章だ。ロヤック大統領は、広島型原爆の1000倍強力だった「ブラボー」実験以外にも、マーシャル諸島で計17回のメガトン級実験が行われたと指摘している。マーシャル諸島で行われた核実験の爆発力の合計は、米国による大気圏核爆発実験の爆発力全体の8割にも及んでいた。

フランス領ポリネシアの人々もまた、ムルロアファンガタウファ両環礁で193回もの大気圏・地下核実験を行ったフランスによって同じような取り扱いを受けてきた。ICANの本は、1966年9月に行われた核実験の後でムルロア環礁の核実験場で作業していた地元のマオヒ人(ポリネシア)労働者のことについて紹介している。この労働者は、道路に散乱している瓦礫を全て片付けるよう指示された作業員の一人だ。「大丈夫。(爆心地に)行っても問題ない。」と上の人間から言われたという。

ニュージーランド・オークランドにあるAUT大学のデイビッド・ロビー教授(ジャーナリズム)は、太平洋島嶼地域における反核運動は、「自らの『裏庭』で核実験を行うことを好まない英国・フランス・米国が核実験を実施するために弱い立場の太平洋島嶼の領域をまるで将棋の『歩』のように利用したことへの怒りから生まれてきたものです。」と語った。

独立のジャーナリストとして反核問題を取材してきたロビー氏は1986年、その前年にフランスの国家諜報機関が引き起こした[環境NGOグリーンピースの核実験抗議船]「虹の戦士(レインボウ・ウォーリア―)号」爆破事件に関する著作『炎に燃える眼』(Eyes of Fire)を上梓している。

「『北(=先進国)』の傲慢さは太平洋地域の多くの人々を当惑させました。」「バヌアツのような新興国家は、故ウォルター・リニ首相や、(ファア近郊のパペーテ市長だった)オスカー・テマル氏のような政治指導者に率いられて、独立の意思を表明するために『非核』宣言を行ったのです。」と、ロビー氏はIDNの取材に対して語った。

太平洋島嶼地域一帯に広がった抗議活動が1996年のフランスによる核実験を停止に追い込んだ後、反核運動の中心にいた市民団体は縮小するか、活動停止にいたった。なかには地球温暖化問題のような、喫緊の課題だと考えられる問題に焦点を移していった団体もあった。

ロビー氏は、「たしかにフランスは太平洋で核実験を行いましたが、大国による鬼畜のような所業は他にもあります。」と語った。これらの核実験が終了すると、太平洋島嶼国の関心は他の問題に目が向けられるようになった。「1980年代のキーワードは『核の難民』でしたが、いまやそれは『地球温暖化難民』にとって替わられました。」とロビー氏は語った。

80年代には反核運動の最前線にいた「フィジー反核グループ」(FANG)は、今では活動を停止している。同団体は、タヒチにおけるフランスによる核実験と、原子力艦船や核兵器搭載艦船がフィジーに入港することを認めたフィジー政府の方針に反対していた。「非核独立太平洋」(NFIP)運動の事務局として機能した「太平洋問題資料センター」(PCRC、スバ)も、活動を停止している。

PIANGOのドゥイトゥトゥラガ事務局長は、PCRCの閉鎖とともに核問題は「人々の注目から外れていった。」と語る。「それでは太平洋島嶼地域では核の危機は去ったのか?」という問いに対して、ドゥイトゥトゥラガ氏は、「もちろん、そんなことはありません。核兵器は、私たちが直接それに巻き込まれているかどうかは別として、全ての人々にとって破壊的なものです。」と語った。

ロビー氏もまた、太平洋島嶼諸国は依然として核の危険に晒されていると考えている。特定の脅威とは、例えば、核実験由来の放射性残留物質による汚染、福島第一原発事故によるあらたな放射性降下物、米中間の対立、とりわけ核紛争の可能性を高める、台湾に対する中国の最終計画に関する推測などである。

シンプソン氏によれば、「太平洋島嶼諸国は、当然ながら核軍縮運動の一部でなければならなりません。」と指摘したうえで、その理由として、「核実験は太平洋の島々に住まう人々にとって、感情を揺り動かす問題です。太平洋地域の民衆は反核運動の核心部分を強化することができるのです。」と語った。

残念なことに、太平洋島嶼国の存在感は、核軍縮や保障措置の促進・強化といった重要問題を議論することになる2015年NPT運用検討会議では示せそうもない。(04.17.2015) IPS Japan

※シャイレンドラ・シンは、南太平洋大学(フィジー・スバ)芸術・法・教育学部言語・芸術・メディア校のコーディネーターで上級講師(ジャーナリズム)。