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Looking Back at the Hiroshima and Nagasaki Nuclear Attacks on 75th Anniversary

|視点|広島・長崎への核攻撃75周年を振り返る(タリク・ラウフ元ストックホルム国際平和研究所軍縮・軍備管理・不拡散プログラム責任者)

Photo: Side view of the Hiroshima Peace Memorial. Wikimedia Commons CC BY-SA 2.5【ウィーン/広島IDN=タリク・ラウフ】

1945年7月16日午前5時29分、「ガジェット」というあだ名が付けられた世界初の核爆発装置の爆発によって、原子の秘密が解き放たれた。複数の国からの支援を受けて遂行された原爆開発「マンハッタン計画」の科学面での指揮者であったロバート・オッペンハイマーは「我々は世界が同じではなくなったことを知っている。今や私は死となり、世界の破壊者となったのだ」と嘆息し、彼の同僚であったレオ・シラードは「あの夜、私は世界が悲嘆に向かっていることを知った」と述べている。

その3週間後、米国は、8月6日に広島、9日に長崎とそれぞれ原爆を投下した。この出来事は、核兵器が人類と環境に及ぼす革命的かつ壊滅的な力を見せつけるものだった。

 

核科学者のシラードは「ほぼ例外なく、すべての創造的な物理学者は、原爆の使用に関して不安を抱いていた。」と記し、さらに「ハリー・トルーマン大統領は、核兵器とはどういうものかを全く理解していなかった」と書いている。

のちにシラードはこう回顧した。「1945年3月、私はフランクリン・デラーノ・ルーズベルト大統領宛ての覚書を準備した。この覚書は、日本の都市に対する原爆の使用はソ連との原爆開発競争への道を開くことになると警告し、そのような軍拡競争を避けることの方が、日本を戦争からノックアウトするという短期的な目標より重要なことではないかと問いかけるものであった。」

ルーズベルト大統領の死後、シラードはトルーマン大統領への請願書を起草した。日本の都市に対する原爆使用に道義的な観点から反対するものであった。

数年後、シラードは、日本の2つの都市に対する原爆使用ののち、米国は民間人に対する原爆使用の非道徳性という論議において敗北したのだという鋭い見方を示している。

核分裂の概念がひとたび科学的に証明され、それが日本の都市を破壊するために応用されると、アルバルト・アインシュタインは、自身とその同僚であったシラードが1939年8月2日付でルーズベルト米大統領に送った共同書簡のもたらした恐ろしい結果について、遅ればせながら責任を感じるようになった。その書簡は、ナチスドイツが原爆を開発するかもしれないと警告し、米国が核兵器開発計画を開始するよう推奨するものであった。その結果として、ルーズベルト大統領はマンハッタン計画を始めるのである。

広島への原爆投下から1年も経たずして、アインシュタインは「原子から解き放たれた力は、我々の考え方を除けばあらゆるものを変えてしまった。我々はこうして、前例のない大惨事へと突入しつつある」と嘆いた。後にアインシュタインは、原爆の使用は「最大の誤り」であると述べ、1947年には『ニュースウィーク』誌に対して「ドイツが原爆開発に成功しないとわかっていたら、何もしなかった」と語った。

 

核軍縮の促進

第二次世界大戦の灰の中から立ち上がって、新たに創設された国際連合が1946年に初めて採決した決議は「原子兵器の廃絶」を求めるものであった。

こうして、原子兵器の使用が人間や環境にもたらす破滅的な影響に関する最初の警告の種が蒔かれ、核兵器禁止への最初の呼びかけがなされた。

アインシュタインは、自らの過ちを償うべく、哲学者のバートランド・ラッセルや他の原子科学者らとともに、1955年7月9日、「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発して、次のように高らかに呼びかけた。

「私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか。致命的な放射性粒子がどれほど広範にばら撒かれているか誰も知る由がないが、最も権威ある人々は、水爆を用いた戦争によっておそらく人類は終焉するであろうという見解で一致している。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。」

核兵器廃絶に向けた多くの科学者の努力にも関わらず、残念なことに、他の科学者らが、単純な構造の原爆よりもはるかに破壊的な水素爆弾を開発するよう指導者を説得することに成功してしまった。実際、米国は、月の表面で水素爆弾を爆発させる「プロジェクトA-119」を、結局は短期間に終わるものの1958年に始動させている。その目的は、地球からはっきりと見える巨大なキノコ雲、あるいは放射性の雲と強烈な閃光を発生させることで、ソ連に対して力を見せつけようとするものであった。

幸い、計画は中止され、月は守られた。1979年の月条約は、月やその他の天体におけるあらゆる種類の核実験を禁止している。これは、破壊的な目的のために核エネルギーを濫用しようとする人類の愚かさと、現存する核兵器のリスクを明確に示したものだ。

広島への原爆投下から75年の今日、被爆者に会ったり、爆心地を訪ねたり、破壊された両都市の惨状を写真で見たりしたことがある者ならば、誰もが核兵器がもたらす破壊の大きさに衝撃を受け、恐怖を抱かないわけにはいかないだろう。

核兵器を持つ9カ国とその「同盟国」(より正確には核依存国)の指導者らが、核兵器使用の破壊的な帰結に対して盲目的な態度を取り続け、122カ国が賛成、82カ国が署名、40カ国が批准した核兵器禁止条約を拒絶していることは、驚くべきことであり、きわめて残念なことだ。

他方で、(8月9日現在)あと6カ国が批准すれば核禁条約が発効するという好ましい動向もある。条約が発効すれば、(国際法の下での基本原則である)強行規範が成立し、すべての条約加盟国が核兵器を禁止すべき義務が発生する。ここで思い出したいのが、「我々の防衛は武器のうちにあるのでも、科学のうちにあるのでもない。我々の防衛は法と秩序のうちにあるのだ」というアインシュタインの予言的な言葉である。現在の国際関係に欠けている発想であろう。

2016年10月、NATOの核依存国とその「同盟国」は、核兵器を禁止する条約を国連の下で交渉することを支持する122カ国に一致して反対した。

この核保有国と核依存国の「枢軸」は、核不拡散条約(NPT)再検討会議で1995年、2000年、2010年にそれぞれ全会一致で合意した核軍縮とリスク削減を実行するために合意された措置に背を背けている。

 

広島への称賛

今日まで、広島と長崎だけが戦時において核兵器が使用された唯一の例である。しかし、広島・長崎への原爆投下の経験は、核兵器のさらなる使用とその拡散を予防することが、そして、核兵器なき世界に最終的につながる核軍縮が、なぜ人類と地球の生き残りのためにきわめて重要なのかを一貫して示し続けている。

この点において、被爆者やその家族、子ども、広島県・市の市民や指導者らが、亡くなった方々の記憶を生かし続け、75年前の原爆を生きのびた人々を支えてきた長年にわたる努力とその犠牲を認識し、深く感謝申し上げたいと思う。

広島の指導者と市民が示してきた賞賛すべき無私の模範は、全ての核兵器を永久に廃絶することを目指して決然とした取り組みを進める日本の市民や政府にとって、そして世界中の都市や国々にとっての励みとなるものだ。

広島県の湯崎英彦知事が核兵器なき世界の達成という目標を弛みなく支持し続けていること、広島市の松井一實市長も同じ目標に向けて努力を続けていることは、本当に心強い。

広島市長は、164カ国・地域の7909都市から成る「平和首長会議」の議長でもある。同会議は、被爆の実相を伝え、核兵器廃絶に関する被爆者のメッセージに理解を寄せる人々を増やす取り組みを続けている。

 

新型コロナウィルス感染症の影響

不幸にして起こった新型コロナウィルス感染症の世界的な流行は、核保有国と核依存国の「枢軸」が、誤ったことを優先し、核抑止と軍事介入に対して数兆ドルにも及ぶ資金を無駄に投じている事実を白日の下に晒した。これらの国々が保健医療分野に対して投資を長年にわたって怠っていたことが、受け入れがたいほど感染率と死亡率が高くなる原因となっている。

これらの国々の一部が、特定の医療品を身勝手に独占し、ワクチンを国際的に共同開発するのではなく、「自国第一主義」の「ワクチン・ナショナリズム」につながる熾烈な競争とプロバガンダを繰り広げている現状は、きわめて悲劇的で恥ずべきことだ。核抑止論の信奉者らが、核兵器の使用が世界にもたらす大惨事を認識しようとする知的鋭敏さを持ち合わせていないことを考えれば、彼らが、パンデミックへの防衛はいかなる国も一国内で封じ込めるのは不可能だと理解できないとしても、驚くにはあたらない。

核兵器と外国への軍事介入のために国の資源を無駄遣いしていない非核兵器国が、パンデミックによりよく対処できているのは、明らかだと言えよう。

 

核軍備管理の崩壊

残念なことに、世界から核兵器をなくすというビジョンは、この半世紀に渡って地道に築き上げてきた核軍備管理の枠組みが私たちの目前で音を立てて崩れていく中で、後退していっている。

1996年の包括的核実験禁止条約(CTBT)は未発効であり、核爆発実験が再開されパンドラの箱が再び開けらる危険性さえ出てきている。またCTBT支援国は2008年に大きな失敗を犯している。当時、インドが核技術と核分裂性物質を購入することを可能にする「例外扱い」について協議された際、核不拡散の規範に拘束されないインドに対して、1998年の国連安保理決議1172と、原子力供給国グループ(NSG)の「ガイドライン」に従ってCTBT加入を要件にすべきだったにも関わらず、例外扱いを認めてしまった。

北朝鮮と朝鮮半島の非核化に関する交渉と協議においては、北朝鮮にCTBTへの加入を要件とする条項は、またもや盛り込まれなかった。2年毎に行われる「CTBT発効促進会議」は、同じような演説ばかり繰り返している悲しい冗談のような集まりになりつつある。こうして、CTBTが発効する見通しは毎年低くなり、核軍備管理の化石状態になる可能性が高まっている。

二国間及び多国間の核軍備管理の枠組みと土台は、米国が2002年に対弾道ミサイル・システム(ABM)制限条約から脱退したことによって、そしてまた、中国・フランス・ロシア・英国・米国の核保有5カ国が1995年・2000年・2010年のNPT再検討会議で合意された核兵器削減の約束を完全履行しなかったことによって蝕まれている。

2015年7月に署名され、それ以降イランが履行している、EU3+3とイランによる「包括的共同作業計画」(JCPOA)から米国が脱退し(2018年5月)、それに続いて、2019年5月以降にイランがウラン濃縮制限義務から段階的に逸脱し始めたことも指摘できるかもしれない。これによって、中東の地域情勢は不安定化し、同地域で破滅的な戦争が再び起こる可能性が高まっている。

米国は2019年8月2日、中距離核戦力(INF)全廃条約(1987年)からの脱退を正式表明した。これはロシアが7月に同条約の履行停止を表明した際から予期されていたことであった。INF条約の下で、1991年5月までに射程500~5500キロの弾道・巡航ミサイル2692基が検証可能な形で廃棄され(ソ連1846基、米846基)、5000発近い核弾頭が作戦体勢から外された。

INF条約の廃止によって、米ロ間に残る核軍備管理協定は新戦略兵器削減条約(新START)のみとなった(2010年4月8日署名、11年2月5日発効)。2018年2月4日までに、米ロ両国は、配備戦略核弾頭1550と、配備発射基(陸上配備型および海上配備型弾道ミサイルと長距離爆撃機の合計)700の上限を検証可能な形で下回った。2020年7月1日時点では、新STARTの下で、ロシアが発射基485に核弾頭1326、米国が発射基655に核弾頭1372という現状である。

新STARTは、プーチン大統領とトランプ大統領が更新しなければ、2021年2月5日に失効する。もし同条約の効力が延長されなければ、この半世紀で米ロ間に始めて二国間核軍備管理協定が存在しない状態になり、危険な核軍拡競争が新たに起きる可能性がある。

新STARTの終焉によって、両国間の相互に介入的な査察と、技術的な兵器データの交換が終了することになり、透明性が低下して核のリスクは増大することになるだろう。

米ロ間の軍備管理史上初めて、両国間に存在した既存の協定が破棄されるだけではなく、両国が無制限に核戦力の近代化を行い、宣言的政策と実際の作戦上の両方において核兵器使用のハードルを下げる状態が生まれることになる。

一部の核保有国の軍事ドクトリンは、核兵器の先制使用あるいは早期使用を念頭に置いている。米国防省の新たな核兵器指針「核作戦」(2019年6月11日)は「核兵器の使用は、決定的な結果と戦略的安定の回復に向けた条件を作り出す可能性がある」と述べている。

ロシア側の軍事ドクトリンでは、NATOの圧倒的な通常戦力に対抗するためのいわゆる「エスカレーション回避のためのエスカレーション」戦略を想定している。早期の、しかし限定的な核使用を前提としたものだ。

南アジアにおいては、インド・パキスタン両国が地域紛争における核兵器使用を想定している。最近インドは、ヒマラヤ高地ラダック地域における紛争の再発という状況から、中国に対する防衛のための核能力強化という圧力にさらされている。

核兵器の使用が議論される際に使われる用語が都合よく「聞こえのいい」ものにされていることは、きわめて不快だ。核戦争による破壊と人間や環境に及ぼす影響は軽視され、その代わりに核抑止という浄化された概念が用いられる。

心配なことに、ウィリアム・ペリー元米国防長官のようなかつての防衛専門家の多くが、今日の世界では、偶発的・事故的あるいは意図的な核兵器の使用の可能性が冷戦真っただ中の時代よりも高いとみている。ペリー元長官はその最新刊『核のボタン』で、「我々の核兵器政策は時代遅れで危険なものだ。私は自身がその策定に関わったからそのことがわかっている。手遅れになる前に政策を変えなくてはならない。」と記している。ペリー元長官は、「わずか数分の間で核兵器を数百発も発射できる恐るべき能力」によって、ハルマゲドン(世界の終焉)を引き起こす重大な危険が生まれていると警告している。

「核戦争に勝者はなく、また、核戦争は決して戦われてはならない。」というミハイル・ゴルバチョフ書記長ロナルド・レーガン大統領の1987年12月の認識は、今日の指導者と核戦争計画策定者の頭にはもはや入っていない。

『原子科学者会報』は今年、(核の大惨事に我々がいかに近づいているかを示す指標である)世界終末時計を真夜中まで100秒にセットした。冷戦のもっとも暗い時代ですら、時計は「2分前」であった。

これに関連して、ひとつの希望の兆しは、米ロ両国がウィーンで6月と7月の2度にわたって行った直接協議である。核軍備管理問題に関するNSVT(核・宇宙・検証問題協議)は、核兵器ドクトリン、宇宙兵器と軍備管理、透明性と検証の問題の3つの領域をカバーするものである。こうした望ましい前進があるにも関わらず、両国は、NSVTに第三国を加えるかどうかを巡って分裂している。米国は中国を含めるべきと主張し、これに対してロシアは、中国を入れるなら英国とフランスも含めるよう主張している。しかし、中英仏は、米ロによる多国間NSVT協議に参加する意向を示していない。

6月22日のNSVT協議で米国は、中国が参加の意思を示していないにも関わらず、机の上に中国国旗を準備した。これは、米中の各代表の間におけるツイッターのメッセージの交換に関する画像である。

 

核不拡散条約

核不拡散条約(NPT)は今年7月で50周年を迎えた。新型コロナウィルス感染症の拡大のために2021年に延期された第10回NPT再検討会議が失敗する可能性について憂慮する声が強くなっている。私がこれまでに論じてきたように、ニューヨークは安全でも適切な実施場所でもない。再検討会議は2022年に延期してウィーン(オーストリア)で行うべきだ。

NPTの文脈での核軍縮に関連して、複数の対立するアプローチが無秩序に出されている。非同盟運動(NAM)諸国の3段階の次元を区切った「行動計画」、それに対する西側諸国の「ステップ・バイ・ステップ」アプローチ(それを一部修正した、様々な立場を含んだ「不拡散軍縮イニシアチブ」(NPDI)諸国の「ブロック積み上げ」アプローチ)。また、新アジェンダ連合(NAC)は「核軍縮の前進」アプローチを支持し、スウェーデンは「飛び石」提案を行っている。さらに米国は、「核軍縮のための国際環境を整備する」(CEND)概念を推進している。

CENDアプローチを冷静に見てみるならば、核軍縮に向けた「環境」や「条件」作りの焦点と責任を、核保有国から非核兵器国に移すことにこの取り組みの主眼があると言えよう。実際、ディストピア的な米国のCENDアプローチと現在提示されている核政策は、「決して軍縮しないための条件を作りだす」大義に資するものだ。

CENDアプローチは、「虹や蝶、ユニコーンが魔法のように現れて核軍備管理の新しいファンタジーの世界につながる妖精の粉をふりまくのを夢見るようなもの」とみるのが適切であろう。

「虹や蝶、ユニコーン」に信頼を置いても、核による破壊の危険から世界を救う道筋は見えてこない! NPTの枠組みでの核軍縮義務を誠実に履行することが、救済への唯一の道だ。

 

核兵器の「永続的な脅威」を終わらせる

人類と地球のあらゆる生き物が今後も生き残っていけるかどうかは、核保有国とそれを支持する核依存国の「枢軸」における一部の「指導者」と職員の行動と決定にかかっている。しかし、これら指導者の人間性や合理性、精神の安定が、ますます疑問に付されるようになっている。

法的規範と条約につなぎ留められた国際秩序が、生き残りのための最大の希望だ。この点において、核兵器禁止条約は「核の平和への権利」を打ち立て、核兵器が「永続的な脅威」になることを防ぎうるものだ。

フランシスコ教皇は2019年11月の日本訪問時に、世界の大国が核戦力を廃止するようにと明確に要求した。我々はこの呼びかけを認識する必要がある。教皇は、核兵器に関してはその使用も保有も「非道徳的」な犯罪であり、危険な無駄遣いであると訴えた。私は、広島平和公園での教皇の次の発言を思い起こしている。「紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。この底知れぬ苦しみが、決して越えてはならない一線を自覚させてくれますように。」(08.06.2020) INPS Japan/ IDN-InDepth News